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ピンクリボンNEWS 33号(vol.9 no.3)

 

合理的な受診行動とは?

大阪大学大学院 人間科学研究科
准教授

市立岸和田市民病院

公認心理師

平井 啓

 

■ はじめに ■

私はこれまで、病院の公認心理師として緩和ケア、認知症ケアにおける心理的問題のコンサルテーションならびに病院職員のメンタルヘルスケアに関する業務に従事しながら、健康心理学者として、がん検診や補完代替医療の利用、臓器提供意思表示、メンタルヘルスケアなどの受診行動や意思決定に関する研究を行ってきました。近年は、行動経済学の観点から医療場面においていかに合理的な意思決定や行動を行うことが難しいかについて研究をしています。

 

■ 乳がん検診の受診行動 ■

2008年から厚生労働省研究班で乳がん検診の受診率向上のためのプロジェクトの事業に従事しました。このプロジェクトでは、自治体が地域住民に行っている受診勧奨のチラシ(「乳がん検診へ行きましょう」と呼びかけるもの)のメッセージを、心理学とソーシャルマーケティングという手法を使って作成し、それによって自治体の受診率が実際に向上したかを調べました。このプロジェクトの最大の特徴は、自治体が最初の受診勧奨のお知らせを送る際に、アンケートを同封し、それに返送してもらった人を回答の内容に応じて、

①乳がん検診を受診するつもりがある人
②乳がん検診を受診するつもりはないが、乳がんに罹患することを心配している人
③乳がん健診を受診するつもりはなく、さらに乳がんに罹患するリスクはないと考えている人

の3つのセグメントと呼ばれるグループに分けて、それぞれ異なるメッセージが入ったチラシを、受診再勧奨(未受診者に対するリマインダー)のお知らせとして送りました。
①の受診するつもりがある人たちは、乳がん検診の必要性や乳がん罹患のリスクがあることはわかっている人たちで、受診の手続きが面倒くさかったり、忙しかったりという理由で受診を「先延ばし」にしている人たちだったので、「先延ばし」を予防するため、検診の申込方法や受診のための準備をフローチャートで示すデザインのチラシを送りました。
②の受診するつもりはないが乳がん罹患を心配している人には、さらなるリスクを伝えると余計に心配になり検診にいかなくなると考え、利得フレームと呼ばれる「検診を受けることで早期発見・早期治療が可能」というメッセージを送りました。
③の受診するつもりもリスク認識もない人たちに対しては、そもそも乳がん罹患のリスクを認識してもらう必要があるので、損失フレームと呼ばれる「検診を受診しないと手遅れになるリスクがある」というメッセージを送りました。これに対して従来の自治体の担当者が作成した受診勧奨をコントロールのメッセージとして送ったところ、コントロール群(5.8%)に比べ、対象者のセグメントごとにメッセージを送り分けたほう(19.9%)が約3倍の受診率となりました。
この研究からわかることは、乳がん検診の対象者という一見、同じに見える集団のなかに複数の価値の基準を持った人がいるということです。その基準によってその人が合理的であると考える選択は変わってきます。乳がんのリスクはないと信じる人にとっては、検診を受けるということは合理的な選択ではないということです。

 

■新型コロナウイルス感染症下での受診行動■

今年に入ってからの、特に緊急事態宣言下において、新型コロナウイルス感染症感染拡大において、多くのがん患者さんが、新型コロナウイルス感染症への感染を心配して、がん治療のための病院受診を差し控えるという現象が起こっていました。合理的に考えると病院を受診したことで新型コロナウイルス感染症に罹患するリスクはとても低く、それをかなり多く見積もったとしても90%以上は感染することはないと考えることができます。一方で、がん治療を中断することは、のちのち大きな影響を与える可能性があり、冷静に比較をすれば、がん治療のために病院を受診するほうが合理的な選択となります。
しかし、先程の乳がん検診の受診勧奨でもみられたように、それを判断する価値の基準は個々人によって違うもので、さらに時間経過、その日の気分によっても違ってくるものです。

 

■ おわりに ■

そこで、私たちが意識しないといけないことは、受診に限らず日々の選択において、自分自身の価値の基準はどこにあって、どのような基準で判断しようと思っているかを自覚することです。普段の生活では、「自分の価値の基準はどこにあるのか?」ということを考える機会は少ないと思います。しかし、このような複数の不確実なことを考慮しながら自分自身の選択を行わなければいけない場面では、少しずつでも、自分の価値の基準点に気づいていくほうが、最終的に自分自身が納得できる選択ができるのではないかと思います。