放射線はからだに悪い?/乳がんの放射線治療
放射線はからだに悪い?
日本では、放射線イコール体に良くないものと思っていらっしゃる方が多いと思います。日本は戦争や災害による放射線被ばく等不幸な経験をしていますので仕方がないかもしれませんが、果たして本当にそうなのでしょうか。
そもそも放射線とは何でしょう。難しく言うと、電離性と高いエネルギーを持った電磁波や粒子線のことです。強い電離作用で電子をはじき飛ばし、原子の軌道電子をはじき飛ばすことによって蛍光を発したりします。
放射線にはたくさんの種類がありますが、大きくは電磁波と粒子線に分けられます。電磁波のなかで波長がとても短いのがエックス線とガンマ線です。少し長くなると紫外線、部屋の蛍光灯の光も電磁波ですし、赤外線、マイクロ波、短波(ラジオ放送で使ったりする)なども電磁波です。ですから電磁波はからだに悪いと言われたりしますが、電磁波全てが体に悪いというわけではなく、波長の長さによって色々な作用があるということです。もう一つの放射線である粒子線は、粒々の粒子が飛んでいる放射線です。粒子の種類により、電子線、陽子線、中性子線などと呼ばれます。陽子線は陽子1つ分の小さい粒で、治療に使う重粒子線(炭素イオン線)は12個分の重い粒です。大きな粒を飛ばすには、とても大きな加速器が必要です。
放射線の影響を皆様さかんに気になさいますが、何事も量が問題です。少なければ問題にはなりません。というのは、地球上はどこにでも放射線があるからです。福島の事故の後で放射線フリーの食品をと言っていた方がいらっしゃいましたが、それはないのです。どんな食品からも、私たちの体からも微量の放射線は出ていますし、地球上で放射線フリーのところはないのです。ですから、量が問題、量が多い場合には影響を気にする必要が生じます。一度に受ける放射線の量が、平均的な自然放射線、年間1.1ミリシーベルト(mSv)の100倍以上になるとはじめてからだへの影響が出てきます。ラドン温泉やラジウム温泉は、体にいいといって行きますが、自然放射線が平均的な地域の10倍位はでていますので、普段は嫌いな放射線をたくさん被ばくしに行っている訳です。では、ラドン温泉やラジウム温泉は、がんに効くのでしょうか。そこに住んでいる人の疫学調査が世界各地で行われていますが、発がん率が他の地域より有意に多いとか少ないというデータは出ていません。タバコを吸っていて、胸のレントゲン写真で被ばくするのはがんの原因だから検診は受けないとおっしゃる方がいらっしゃいましたが、がんの原因の30%はタバコで、30%は食習慣です。胸のレントゲン写真を1回撮ると、どの位被ばくするかというと、飛行機でアメリカに行くのと同じ位の被ばく量です。事故などで余計な被ばくをするのはもちろん問題ですが、医療のコントロールされた放射線をきちんと使うのは、健康のために必要なことだと思います。
地上に全く放射線がなかったら人類は死に絶えているとも言われています。地球には宇宙から放射線が降り注ぎ、地球を構成する地殻から放射線が出ています。この低レベル放射線のDNAに対する刺激があることで、我々はDNAを修復する力を得て、これだけ繁栄した、この量の放射線がちょうど良かったとも言われています。
人工放射線のなかで、一番多いのは医療被ばくです。日本人は医療被ばくが多いのですがそれは日本の医療が進んでいて、かつ医療制度が整っているからだと思います。日本はCTを撮るからがんがたくさんできるのではなく、CTを撮るから、がんがあると診断できるのです。世界には一生涯医療被ばくを受ける機会がない人もいますが、日本では診断をつけて、きちんと治療できる。これだけCTが沢山ありますから、がんも早期に見つかっています。だから、日本に住んでいてよかったなと思って、必要な時は必要な診断を受けた方がいいと思います。
ただしむやみに心配だからと毎月CTを撮るといった話ではないですね。100ミリシーベルト以下の放射線では、がんを引き起こすというデータはありませんのでCTを今年3回撮りましたが、がんが増えますかという話ではない、毎週CT5回とか、年間に200回とか撮ったらいけないですが、年数回撮っても、それでがんが増えることはありません。睡眠薬は1錠ならよく眠れてからだが休まりますが、100錠飲めば命に関わります。薬は目に見えますが、放射線は目に見えないので量がわかりにくいのがご心配の一因かと思います。しかし、画像診断レベルの医療被ばくでは問題はないと思っていただいて良いのです。
乳がんの放射線治療
がん治療の3本柱は、手術、薬物療法と放射線治療で、WHOの報告によれば世界のがん患者さんの5割以上が放射線治療を受けています。しかし残念ながら日本は先進国中、放射線治療の利用率が最も低い国で、3割を切るくらいの患者さんしか放射線治療を受けていません。日本人の「放射線アレルギー」が一つの原因かもしれませんが、世界でそれだけ使われている治療を受けていないということは、日本の患者さんはその恩恵を受けずに損をしているということではないでしょうか。ぜひきちんと理解して上手に利用して欲しいと思います。
放射線治療が始まったのはレントゲン博士が放射線を発見した1895年の翌年です。最初は放射線の作用が十分にわからず試行錯誤でしたが、1906年には放射線の哺乳動物の細胞に対する影響の基本原則が発表されており、ほんの10年位でおおよその放射線影響が解明された訳です。1950年ぐらいには、今使っているリニアックのような装置が出てきて、体のどこでもきちんと治療できるようになり、効果もよくなり有害事象も減りました。さらに、1991年に強度変調放射線治療(IMRT)というハイテクな、エックス線だけど、粒子線のように、病気の部分だけにたくさんかかり、他のところにはあまりかからないで済む治療というのが登場しました。ある程度有害事象が出るという時代から、それ以降は、かなり良い治療、手術にとってかわる治療になりました。IMRTにより前立腺がんなどは放射線治療が手術と同格になったのです。
放射線で乳がんは治るのですかと聞かれれば、治りますと答えます。しかし乳がんは、放射線(エックス線)だけで治そうと思うと、手術より良く治りません。治らないわけではないのですが治る率が低いので、手術してから放射線をかけています。日本の放射線治療患者さんの2割以上は乳がんの患者さんです。乳がんは、手術して、放射線治療をして、全身薬物を行う集学的治療を行うことで良く治ることがわかっています。
では、どのように放射線でがんが治るのでしょうか?それは、がん細胞が放射線で傷ついて死ぬからです。DNAが深い傷を受けると細胞は死んでしまいます。がん細胞は放射線の傷が深くなりやすいのですが、正常細胞は傷つきにくく、傷ついても修復する能力が高いのです。毎日少しずつ照射することで、がん細胞は死に、正常細胞は生き残のこるしくみです。
放射線治療の利点は、機能と形態を温存し、からだへの負担が少ないことです。がんの手術や抗がん剤は、ご年齢によってはお勧めできないことがありますが、放射線治療には年齢制限はありません。
乳がんでの放射線治療は、術後に手術との組み合わせで治りをより良くしようという目的と、手術できないものに対する治療、転移の症状を抑えるための治療があります。温存乳房照射では、4~6メガボルト(MV)のエックス線を使い、50グレイを5週間とか、短期照射だと42から43グレイを3週間くらいで照射します。少しがんが残っているかもしれないとか、年がお若いとか、再発しやすいタイプの場合は、腫瘍があったところに追加の照射をします。温存乳房照射をすることで乳房内の再発がほとんどなくなります。
乳房を全部切除した手術を受けた方でも、リンパ節転移が多くあった方は、胸壁と鎖骨上に術後の放射線照射を行ったほうが、再発が少ないことがわかっています。
乳がん局所・所属リンパ節再発に対しても、放射線治療は有用で、この場合には60グレイくらいを6週間とかかけて照射します。
骨転移とか脳転移に対する照射は、少ない線量で行うことが一般的です。これらの転移は血行性の転移なので、全身薬物療法が治療の主体で、放射線治療はお辛い症状をとるための治療なので照射量が少ないのです。骨転移は30グレイくらいを2週間とかで照射するのが一般的です。脳転移では、定位照射(ピンポイント照射)が良いか、全脳照射が良いかで議論がありました。頭全体に放射線治療をしたら認知症などの症状が出るから、そこだけピンポイントでやったほうが良いという主張と、乳がんが血の流れに乗って頭に飛んでいるのだから、目に見えているところだけの治療では周囲に再発してしまうから、全脳照射したほうが良いという主張があります。最近、最初はピンポイント照射で、そのあと残念ながら多発転移になった方に全脳照射しても変わらないとわかってきて、転移が少ない方は最初から全脳照射を勧めないようになりました。
乳がんの放射線治療はこのように、手術や薬物療法の補助的な役割を果たすことが多いのですが、粒子線治療では手術しないで乳がんを治す臨床試験も行われています。私は早期乳がんに対する重粒子線治療の臨床試験の責任医師をしていますのでご興味のある方は放射線医学総合研究所病院のホームページをご覧下さい。
http://www.nirs.qst.go.jp/hospital/index.shtml 放射線医学総合研究所病院 | 放射線医学総合研究所(放医研)
東京女子医科大学
放射線腫瘍学講座教授・講座主任
唐澤 久美子