ピンクリボンNEWS

  • ピンクリボンNEWS

2024年 夏号(48号 vol.13 no.2)

icon
PDF

「奨学金まなび」 受給生からの お礼の手紙に感動

認定NPO 法人J.POSH    .
(日本乳がんピンクリボン運動)
副理事長 平田 享

認定NPO法人J.POSHの事務局あてに、高校生活で「J.POSH奨学金まなび」を受給し、この春めでたく卒業、そして某国立大学への進学を決めた北陸地方在住のSさんから、心のこもったお礼状を頂きました。乳がんの母親に心配をかけまいと気遣い、自身がストレスを感じてしまったこと、校内掲示で『まなび』を知り応募したこと、応援して下さる皆様(J.POSHおよびご寄付して下さった方々)の存在が大きな心の支えとなったこと、そして、がんによって苦しむ人々を様々な形で応援していくことが私の目標となりました―と結んでおられます。ピンクリボン運動を展開する私たちJ.POSH一同が「私たちの運動は間違ってはいない」と改めて思いを新たにしたお手紙でした。

認定NPO法人J.POSHのプログラムの1つである『奨学金まなび』。応募資格は①本人の母親、保護者を乳がんで亡くしている、または本人の母親、保護者が現在乳がんで治療中
②経済的な理由により修学またはその継続が困難な生徒③給付開始時に高等学校(学校教育法に規定する全日制及び定時制、通信制の高等学校)、特別支援学校の高等部、専修学校の高等課程に在学中(当年入学者含む)です。


私たちJ.POSHがこの奨学金を創設するきっかけとなったのは2007年夏、当時実行されていた「キッズファミリープログラム」(現在は休止)に参加された乳がん患者の娘さんをもつ高齢の男性との出会いでした。乳がん患者のファミリーが集い、お互いの悩みなどを語り合うという趣旨のプログラムでしたが、それから半年後、事務局に「娘が亡くなりました」というお手紙が届きました。その手紙には亡くなった娘さんが最後の力を振り絞って書き残したという手紙が添えられていました。「年老いた両親に、自分の子供たちを託さねばならない無念さ」がにじみ出る文面でした。子供たちに宛てた最後の一行は、『高校・・・、しゅうしょく…』で終わっていました。子供たちには「せめて高校は卒業してほしい」との思いが伝わってきました。

この思いを形にしたのが『J.POSH奨学金まなび』です。「乳がんで亡くなられた、または闘病中の保護者をもつ高校生に最長卒業までの3年間、月1万円を支給、返済不要」の「奨学金まなび」は2008年に設立し基金をスタート。初年度(2010年)の支給人数は25人でしたが、2023年度は85人(コロナ禍特別増員10名を含む)にまで拡大し、みなさまへの支援の輪が広がり続けていることを嬉しく感じております。

しかし、こんな実情があることも知って頂きたいと思います。それは、「まなび」を開始した当初は応募者も比較的少なく、奨学金の基金自体も余裕がありました。ですが10数年の歴史を重ねる中で知名度も上がり、応募者の数も飛躍的に増加。基金自体の予算の制約もあり、応募者の皆様全員に支給することができないことに対する「無念さ」を感じているところです。応募者の皆様に提出をお願いしている「成績証明書」や「保護者の収入証明書」…などの書類を見つめながら線引きしなければならないことの苦しさを痛感しています。

改めて「奨学金まなび」について思い起こさせてくれたSさんからのお手紙を紹介させていただきます(ご本人の了解を頂いています)。

 


私が高校一年生の時、母が乳がんであると診断されました。風邪ひとつ引かない母は、家族の中で一番体が丈夫だと思っていました。診断結果が伝えられる日、結果を聞いてしまうと疑いが事実に変わるのがとても怖く、受け入れられず、いつもより遅く家に帰りました。帰りが遅い私を、自分のことは二の次で心から心配する母を見て、自分勝手な行動をとったことを深く反省しました。しかしその後も、不安や恐れから強いストレスを感じる日々が続きました。デリケートな問題のため親友にも相談できず、不安にさせたくなくて親にも素直に話せませんでした。

高校三年生になった頃、校内掲示で奨学金まなび基金について知り、医療費や進学費用による両親の負担を減らせたらと考え、応募しました。この基金について調べ、たくさんの方の寄付によって奨学金を受け取れていることを知りました。闘病は辛く苦しいものだと思います。しかしまた、私のように悩みを打ち明けられずに苦しむ家族も多くいると思います。そんな人達のことを理解し、応援してくださる存在があることは、この1年間本当に大きな心の支えとなりました。

以前よりも落ち着いた気持ちで勉強に集中できたことと、治療によって少し病状が良くなった母の支えのおかげで、この春から志望校への進学が決まりました。これからは、頼もしい娘となって闘病中の母を支え、私を支援してくださった方々のように、がんによって苦しむ人を様々な形で応援することが私の目標です。